大きな街へと繋がる小さな街の駅の広場には、黄色く光る樹の形をしたイルミネーションがきらきらと。まだ日は高いというのに少し翳っている空の下で快活にきらめいていた。
香崎舞彩はスマートフォンを小さな鞄から取り出すとロックを解除して、もう一度送られてきたメッセージに目を通す。
『ごめん! 今日、出かけられなくなった。私の代わりに素敵なプレゼントを送り出したから勘弁してね』
その言い方はないでしょう。
いくら用事ができたとはいえ、代わりを用意してくれたとはいえ、急な予約のキャンセルは困る。それ以上に舞彩は今日という日にメッセージを送ってきた友人と普段は行かないカフェで食べるケーキや雪やリボンで飾られた店を巡るのを楽しみにしていた。
その代わりを務められる人はいない。三戸友香はそのことをわかっていなかった。
はあ、と溜息を一つ。
このまま電車に揺られて帰りたい気持ちもあるが、それを実行すると友香の用意した素敵なプレゼントが置き去りになってしまう。急に代打を頼まれた相手に事情を説明しないと、帰ることもできない。
遠くから、イルミネーションの斜め向かいにあるベンチへ近づいてくる人がいる。歩き方に迷いが無いので、用意されたプレゼントはその人なのだろう。
舞彩は立ち上がり、顔が分かるほど距離が迫ってから硬直した。
「な!?」
「な?」
オウム返しの相手はのんびり首をかしげている。
灰色のコートの下から見えるブラックジーンズと傷のない靴。それらから視線を上げて、清潔感のある切りそろえ方をされた黒茶の髪、少し目は小さいが愛嬌となっている青年の名は。
「佐伯君」
名前も含めると佐伯輝。舞彩と友香の通う大学で一学年下の後輩だが、年齢は同じだと聞いている。だから普段から身構えずに接することができた。
付け加えるのならば、「いいよね」とサークルの帰りに寄る喫茶店で何度も密かに話題にした。そのことを友香も知っている。知らないはずがない。
動揺を抑えながら舞彩は輝に尋ねた。
「どうして、佐伯君がここにいるの?」
「今日は用事が無かったらここに来てくれって。三戸に頼まれた」
「……そうなの」
休日、さらにクリスマスに会えたという感動が一気に薄まる。
「香崎がいることも聞いていたから。それで、今日、香崎の外出に付き合ってもらえないかって」
「そうなの」
「香崎?」
返事が不穏当なものになるのは許してもらいたかった。
確かに佐伯君と一度出かけてみたいという話はした。だからといって。だからといって。こんなサプライズをされても全く嬉しくない。
友香の差し金が、優しさによるものだとしても直接文句を言わないと気が済まなかった。
「ごめんね。少し、付き合ってもらえるかな?」
「べつにいいけど。どこに行くんだ?」
「佐伯君には面白くないと思うけど、私が行かなくては行けない場所なんだ」
こんなことをしでかして、満足に浸っていたらただじゃ済ませないことを決めながら、舞彩は改札に向かい、スマートフォンで通り抜けた。
そして、本来行くはずのないホームへ歩いて行く。そのあいだ輝は何も言わずに親につく合鴨の子のようについていきていた。
舞彩は佐喜公駅で電車から降りる。
意外にも、電車の中で輝との会話は盛り上がった。機嫌が悪いままでも好きな人といると調子は上向くらしい。普段とは違う距離感で、先輩と後輩ではない会話は新鮮で楽しいと素直に思えた。だからといって、友香を許す気持ちは薄まりはしなかった。
コンビニエンスストアに寄って、割高な買い物を済ませてから、慣れてはいないが知ってはいる道を歩いて行く。
「荷物持つよ」
「いい。これは私の怒りだから」
「怒りって。そこまで、三戸に腹立てるんだ。面白いなあ」
輝はくすくすと笑う。そっぽを向いたところで、強引に軽くは無いビニール袋を奪われた。そうして輝は隣ではなく二歩先を進み距離を作ったため、舞彩では追いつけないし荷物も取り返せない。
二人してからかって。
舞彩がついぐぬぬぬぬとなると、輝は足を止める。隣に並び、取り返そうとする。しかし輝は簡単に遠ざけた。
その笑顔が楽しそうにしているから、気が抜けた舞彩は荷物を託すことにした。行く先は一緒だ。甘えるのは苦手だが相手が手を差しだしたのだから、今回は良いことにした。
住宅街を並んで歩きながら、輝はどこまで舞彩の感情に気付いているのかが気になる。もしも友香が打ち明けていたら首を絞めてがっくんがっくん揺らしてやろうと決めた。そこまではしていないと信じたいが、信じ切れない。
舞彩が最初に輝を良いと思ったのは、それこそ初対面になるサークルの自己紹介で、一際目立つ声をしていた。とはいえ、声の良さが役立つサークルではない。カリグラフィーの練習をしたりペンを使用してイラストのデザインを考える、誰が名付けたのかは不明だが「ライト書道部」では器用さが肝心だ。
ライト書道部は就職活動対策として綺麗な字を習得することが目的であり、サークルに所属している人数は多い。だが、本当に活動を継続している人は少ない。輝はその少ない中の一人だった。勇気を出してその理由を尋ねたときは「ペン字とイラストが好きだから」と言って、自慢のノートを見せてくれた。
声と同じく真っ直ぐ大きな字で、埋められたノートは夢と希望が詰まっていた。そこに、舞彩は一目で惚れてしまった。そのことを打ち明けているのは友香だけだった。
信頼できる友人だ。だから、話したのに。
嬉しくないわけではない。だが、サプライズ過ぎて引いてしまった。友香にはそういった、相手の都合を考えないで先回りする癖がある。ありがたい時もあるが今日は違った。
「だけど佐伯君。本当に付き合ってくれるの? もう帰ってもいいんだよ」
「帰らないよ。ここまで来たらどうなるか楽しみだしね。こんなに怒っている香崎は初めて見たよ」
一拍、間が置かれる。首をかしげた。
「可愛い」
「ふぇ!?」
いきなりの褒め言葉は予想していない。輝は、素直な人ではあるがむやみやたらに褒める人では無いことは見つめてきたから知っている。だから、突然の言葉に舞彩の心拍数が急上昇した。空になった手袋を嵌めている手を何度も握っては開く。その様子を、輝はまた笑って微笑んでいた。
そうしているあいだに友香が住んでいるアパートの前まで着いた。インターフォンを鳴らす。
『ふぁーい』
なんとも情けない声だった。よほど疲れているのか、それとも風邪でも引いているのか。怒りは簡単に心配へ取って代わられる。
「友香。私、舞彩よ」
『こ、ここには誰もいませんよ?』
「じゃあ話しているあなたは誰よ!」
『高性能友香ちゃん型音声応答装置……』
苦しい言い訳が続きそうで扉を蹴破りたくなった。実際にはしないのだが、それほどまでに会いたくないのかと思うと胸が締めつけられる痛みを覚えた。
友香は友人だ。全てを打ち明けられるわけではないけれど大事なことは相談して、心を通わせられていたと思うくらいに、舞彩は友香が大切だ。
「もう、そんなに私と会いたくなかった?」
みっともなくて相手を困らせる言葉が口から出た。こういう態度は嫌われると分かっている。それなのに、怒りよりも不安が勝った。
そして、悲しいことがもう一つ。輝をこのような女性同士の修羅場にも巻き込みたくは無かった。好きな人の前では月のように綺麗で儚いところだけを見せていたい。
せっかくの、クリスマスなのに。
ばたばた。インターフォンから慌てた足音がする。うつむきそうになった顔を上げると、盛大に扉が開かれた。
「もう、舞彩! 私のことは気にしないでよかったのに!」
そう言う友香の格好を見て、これは今日来られなくても仕方が無い。すぐに納得できた。
友香は柔らかいワンピースとボトムスというパジャマを隠すようにして丈の長い上着を着ている。普段は高いところで結ばれている濃茶の髪は下ろされているしほつれていた。大きな声を出したつもりだろうがその声は掠れていて、頬は赤かった。
風邪だ。
友香は風邪を引いたから、出かけられなくなって、代わりに輝に頼んでくれたのだろう。それが分かり、ほっとしたがまた軽い怒りが浮かぶ。
「へんな気の回し方をしないで本当のことを言ってよ。三戸君、ごめんね。こんなところに付き合わせて。もう、帰っても大丈夫だから」
「まあまあ。さっとんもこんなところで良ければ上がっていってよ」
いつの間にかそのような呼び方をする関係になっていたのだろうか、とは疑問に思うが聞くことでもないし、聞けない。
「ま、俺もおじゃまします」
友香は左右に揺れる頼りない足取りでキッチンと併設されているリビングへ向かっていった。その後を舞彩と輝も続いていく。病人の家にしては、綺麗に片付いていた。友香は強引で大胆だが、几帳面でもある。ただ、ごみ箱に視線をやると携帯食糧の包装ばかりだった。出かけることも億劫で、非常食でしのいでいたのだろう。
手に持っている怒りを美味しい料理にしなければ。舞彩は固く誓った。
輝はカーペットの上に置いてあるクッションに座り、舞彩は台所に行って、友香は一人用のソファに身を丸まらせる。
「眠っていてもいいよ?」
「んー。せっかくだから起きてる。でもさあ舞彩。せっかくデートチャンスを作ってあげたのに」
「友達を放って置いて楽しめるわけないでしょう」
正直なところを言い返しながら、舞彩は多少は勝手を知っている台所でおかゆを作り始めた。とは言っても、米が無いのでコンビニエンスストアで買ったインスタントを温めながら、卵と玉ねぎでスープを作るくらいしかできない。
「さっとんもさー。わかってるならもっと上手くやりなよもー」
「悪かったよ。先輩。でもさ、普通に出かけるよりもこっちの方が俺はいいよ」
「そんなんだからもー」
「友香。牛じゃ無いんだから、もーもー言わない」
「もー!」
最後の鳴き声が上がる。
本だしを溶かしたお湯で卵を溶きながら、いつも元気な友人について、舞彩は考えてしまう。
今日のことも、本当に私のためを考えて機会を作ってくれた。三戸に憧れながらも手を伸ばすことすらできない自分をもどかしく思ったのか、励ましたいのか、はてさて面白がっている可能性すらあるが。
それでも友香は手を届かせるように手伝ってくれた。それは嬉しい。だけど、私はもっと正々堂々と友香にも輝にも向き合いたい。
考えているあいだにスープができあがった。狸の絵柄の器にスープをよそって、おかゆは黒塗りの椀に入れながら、お盆を引っ張り出して運んでいく。
漂うだしの匂いは温かい。
舞彩は友香の前のテーブルに盆を置いた。ぱん、と両手を合わせる音がする。
「ありがとう、いただきます。二人はもっとちゃんとしたものを帰りに食べなよ?」
「そうだな。帰りに、おいしいものを食べよう」
輝の言葉にいち早く反応したのは友香だった。
小さな声で囁きかけてくる。
「やったじゃない! 帰りはデートコース!」
「そんなのじゃないよ」
もしもそうなら嬉しいけれど。
「あのさ、香崎」
「どうしたの?」
「三戸が風邪引いてるって聞く前に分かってたのか?」
それに関しては答えは一つしか無かった。
「勘よ。友人としてのね」
最初は疑いもした。だけれどただのお節介で約束をすっぽかして自分の好きな人と巡り合わせるなんてだけをする相手でもない。それが分かっているから、友香が何かしらの出かけられない理由があることだけは察していた。
「そっか」
答えた輝の瞳が優しくて舞彩は恥ずかしくなった。
「なによう。わかっていたらなら、私の思いを汲んでくれたらよかったのに」
「じゃあ俺が三戸の思いに応えようかな。好きだよ、香崎先輩」
突然の告白だった。そのままさらりと「私もよ」で終わってしまいそうなくらい自然なのに、友香が吹き出したことによって、急に現実味を帯びていく。
「ちょっと汚い! ほら、拭いて」
慌てて鞄の中からハンカチーフを取りだして、友香に差し出した。友香は口の周りを拭きながら、周囲には米粒がちらかっていないのを確かめて、大きく頷く。
「よかったね! 両思いだよ!」
「言わないでよ!」
「いや。確信できたからいま言った」
輝は楽しそうに笑っている。その笑みの屈託のなさが反対に怪しかった。
「佐伯君。もしかして、いい性格してる?」
「何を今更。それよりも、返事は」
「……もう!」
「うしー」
先ほどの発言の逆襲を受けて、腹立たしくなる。舞彩は友香を軽くにらみつけた。そのあいだも輝からは視線を感じるのだから、腹を決めて向き直る。
「私も。佐伯君のことが好きです」
「やったね! じゃあ、お祝いのケーキを食べよう」
「どうしてあるの?」
出かけていないだろうに。
「食べたかったから。あ、舞彩と佐伯は二人で一個ね。二個しかないから」
「わかった」
とんでもない一日だ。だけど。
「まあ、いいかな」
いままで生きてきた中で一番記憶に残るクリスマスになった。
わいわいと騒ぐ友香と輝から視線をずらす。カーテンの隙間から見える窓の外では白い雪が淡々と降っていくのが見えた。